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御代田駅のスイッチバック遺構に気がついた

2011年1月15日土曜日 21:56 | 0 Comment | 0 Trackback

先日、所用でしなの鉄道で長野へ行く用事がありました。

20110115-4.jpg

何度か乗ったことはあるのですが、ボックスシートに陣取り、車窓を眺めていると
この電車、本当に絶景の中を走りますね。
特に御代田から追分の間では、車窓の畑越しに、
雄大な浅間山が望めます。

20110115-5.jpg

これ、十分観光路線になると思うんだけどなぁ。
一時間に一本ではもったいない・・・

それはさておき、御代田駅の近くにこのようなD51が置かれている場所がありますね。
近くを通る、旧中山道を通るたびに気づいていたのですが、
今回しなの鉄道に乗って、さらに気がついたことがあるのです。
軽井沢から上田方向に向かうと、
すぐ右手にこのD51が見えるのですが、
程なく列車は大きく左にカーブを描いて
下っていくので、このD51がどんどん遠くなっていきます。
そしてそのD51の場所に向けて、
線路から一直線に空き地がつづいています。
もしかしてこれはスイッチバックの跡?
ずっと気になっていたので、今日佐久へ買い物に行ったついでに
ちょっと寄って確認してきました。

20110115-1.jpg


やはり間違いありません。
この場所がかつてスイッチバックだったところらしいのです。
写真をもう少し引いてみてみましょう。

20110115-2.jpg

お気づきですか、右手に大きくカーブを描きながら進むのが
現在のしなの鉄道。そのしなの鉄道に向かって、
現在私が立って写真を撮っている
八十二銀行の駐車場ところから、
空き地がまっすぐに線路の方に細長く伸びていますね。
このあとがスイッチバックのあとだそうです。
元々こちらに旧御代田駅があり、
上田から軽井沢へ向けて坂道を上って来た信越線の列車は
いったんこちらへバックで入ってから、
改めて軽井沢へ向けて進んでいくという仕掛けです。
蒸気機関車の時代、現在の動力車と比べると
格段にパワーが足りなかったので、
追分に向けて一気に上がっていくことは出来なかったのでしょう。
昭和43年に信越線が電化されるまで、
このスイッチバックは残っていたそうですよ。

長野県歌「信濃の国」の一番最後の歌詞は、

「吾妻はやとし日本武 嘆き給ひし碓氷山
 穿つトンネル二十六 夢にも越ゆる汽車の道
 道一筋に学びなば 昔の人にや劣るべき
 古来山河の秀でたる 国に偉人のある習い 」

とありますが、
その当時は、この歌詞にも登場する碓氷峠と併せて、
鉄道にとっては難所の一つだったのでしょうね。
碓氷峠に比べればなだらかなので、
それほどきつい勾配には感じませんが、
18号線も追分の交差点を過ぎて、御代田方面に下り始めると、
特に夜走ってみると、佐久平の夜景がものすごい下に見えて
驚くことがあります。
この御代田駅の標高は819mですが、
隣の信濃追分駅の標高は956m、
さらに一つ小諸よりの平原駅の標高は706mですから、
御代田駅を挟んで信濃追分駅までの間に
なんと250mも上ることになります。
かつては中山道有数の難所だったところですから、
ここに鉄道が通ったことはまさに「夢にも越ゆる汽車の道」
だったのでしょうね。

廃止になった碓氷峠と併せて、是非スイッチバックのあるときに
乗ってみたかった・・・いや、是非また乗ってみたい。

なんだか今日はかなり鉄ちゃんな記事になってしまいましたが、
実は嫌いではありません、そっち方面・・・


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